旅が好きとか本気で言ってるやつバカじゃないの?というページを見て

こんにちはヤニックです

 

先日「旅が好き」でネット検索したら検索一位に

「旅が好きとか本気で言ってるやつバカじゃないの?」みたいなページだった

 

そのページを読むと、

 

世界を旅する=人間的に成長したみたいな風潮マジなんなの?

 

というトピックだった。

旅好きの僕としては、色々思うところがあったので

そのへんに付いて、思うことをつらつら書いていこうと思う。




海外に行くと、多用な価値観に触れて寛容になるのは事実

海外に行くと多用な価値観に触れることが出来るのは事実。

例えば、海外のビーチに行くと、70近いおばあさんが

キレッキレのビキニを平然と着ていたりする。

 

日本では、その感覚の人をまず見ない。

歳が増すに連れて、徐々に肌の露出を嫌がる人が多い。

それは自分が・・というより、他人の目を気にしてのこと。

 

海外の人は、とにかく、人の目を気にしない、自分の好きな格好をし

好きなことをして自由に生きる人が多い

そして、それをおかしいと咎める人もいない

人は人、自分は自分、ATフィールド全開である。

 

日本ではまず、一番先に人を目を気にする。

先日、義母と一緒にハワイに行ったが

ホテルの部屋から出る時に必ずこう言う

 

「この格好、変じゃないかしら?」

 

大丈夫、ここは外国なんだし、みんな好きな格好をして生きてる

外国にいるときくらい、他人の目を気にしないで生きてみようよ・・・

と心のなかでつぶやいたりしていたわけだけど。

 

外国にいると、人の目を気にしないで

もう少し自由に生きてみようかな

という気持ちにはなる。

 

他にも、外国にいれば日本には無い価値観を知る機会に恵まれる。

そこで、違う価値観で平然と生きてる人を見て

 

「こうでなければいけない」

「こうであるべき」

 

という”日本の常識”から解放される人もいるかもしれない

それがきっかけで、多様な価値観、考え方に寛容になるのは

確かだと思うし、それを人によっては

 

視野が拡がる

世界が拡がる

人間的に成長する

 

と形容するのかもしれない。

その言い回しや、押し付けがましさが鬱陶しく感じる人はいるかもしれないけど

視野が拡がる(正確には価値観の許容度が増す)というのは事実だと思う。

人間的に成長するだけならゲームだって可能

だけど、視野を拡げるだけなら、何も旅行である必要はなく

ゲームだって全然可能なのも事実

ゲームのキャラクターが持つ価値観に寛容になることで同様の効果はある。

 

プロゲーマーのウメハラダイゴの著書を読んだけど

若い頃から、ゲームばかりやってきた彼の哲学は

人間的に高みに達していると思える。

 

仮に”旅行だけが”視野を拡げる、人間性を高める最善の方法だと

勘違いしている人がいて、そして

ゲームとかは俗物であり、人間の成長に何の寄与もしないと

思ってる人がいるのだとしたら、それは愚かな人だなとは思う。

 

それこそ、他人の価値観に寛容になれていないあなたは

本当に旅を通じて人間的に成長したのかね?

と問いたくなる。

 



旅行じゃなくて、それは単に旅してる”私”が好きなだけ

ちなみに、僕が旅が好きなのは、2つの意味がある、別に

視野を拡げるとか人間的に成長したいから

ということはかけらもない

 

単純に

 

楽しいから

 

それ以上でも以下でも無い。

カラオケが好きな人に、なんでカラオケに行くの?

と聞いたところで

 

「楽しいから」

 

という返事が返ってくるのと同じことで

僕にとって旅行は、楽しい以上の意味は無い。

 

結果的に、価値観の許容度は増してるかもだけど

それはあくまで副産物だし、ドヤ顔して

 

旅にいくとさぁ、人間的に成長するんだよね(*´∀`*)ムハハ

 

みたいなことを言うことはない、そういう人って、旅が好きなんじゃなくて

旅して成長してるかっこいい自分が好きなだけじゃないの?

 

僕はどちらかと言えば

夢がある方がえらい、かっこいいとか、前向きに生きてるとか

打ち込めるものがある方が一生懸命生きてるとか

旅行とかスポーツとかアクティブな趣味のほうが人間性が高いとか

漫画より活字読むほうが役に立つ、意味がある、大人だとか

アニメより映画のほうが・・・以下略

そういう世間の論調は嫌いなタイプで。

 

そういう風に生きるほうが”かっこいい”とか”大人だ”とか”役に立つ”とか

勘違いしてる人も苦手である

何をしてたって学びを得ようと思えば得られる。

 

単純に、好きなことをして生きるのが一番楽しいし。

好きなもののほうがすんなりと学びを得やすいと思っている

 

好きこそものの上手なれ、だ

 

だからといって、無理に学びを得よう!!といいたいわけじゃない

何かをするにつけ、学び、学びってのも息苦しい。

 

他人に迷惑がかからないのなら

自分の好きなことをして、自然体で生きてればいいんだ。

それが一番楽な生き方だと思っている。

 

自分のやることが世間の風潮的にかっこ悪いと言われるものだって構いやしない

人は人、自分は自分だし、人の価値観を笑うようなやつは

トーフの角に頭打ちつけて死ねば良いと思っている。

 

実際、僕は学生時代軽音部に所属し、ヘビーメタルという

マイナーな音楽に没頭していた。

お陰で、先輩からは「そんなダサい音楽、今すぐやめろ」と言われたり

「くだらんバンドだな」と酷評されたりしたが。

そんなことを気にしないで、自分の好きな音楽を三年間貫いた(今でも好きだけど)。

 

自分が死ぬ瞬間を考えて見た時に

 

「ああ、人の目を気にして、自分のやりたいことを我慢したお陰で、笑われずに生きられて本当に良かった・・・ガク」

 

となるのだろうか?

人に笑われるくらい一体なんだ?

人生を賭すくらい、そんなに価値のあることなのか?

旅は仕事である

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僕にとって旅は仕事でもある。

旅に行き、この様にブログに書いて、広告料を得ている。

 

一度はこんなこと考えたこと無いだろうか?

「好きなことが仕事になったらいいのに・・・」

 

僕はその点について真剣に考えた時期がある。

そして、テレビのグルメ番組のレポーターをみてる時、閃いた。

 

彼らは、美味しい料理を食べるだけでお金をもらっている

こんな羨ましい仕事ってある?

 

だから、それを自分でもやろうと思った。

流石にテレビの出演は無理だけど

ブログを書いたり、youtubeに動画を投稿するくらいなら難しくない。

好きなところに行って、遊んで、それでコンテンツ作って広告を貼る

それが収入にり生活できているので、それで満足しているのだけど

 

脱サラして、そういう生活をしているものだから

人からはよくこんな事を聞かれる

 

「世間の目は気にならないの?」

「両親はなんて言ってるの?」

「友人とそりが合わなくならないの?」

 

僕はこういう質問をもらうたび、うんざりしながら、いつもこう思う

 

他人の価値観に合わせて生きて何が楽しいんだい?

 

僕は、大学生の頃から、他人の価値観に

合わせて生きることをとっくにやめている

他人に迷惑がかからなければ、好きに生きようと決めている

 

良い企業に入って、定年まで働いて、家買って、子供作る

という、世間の常識的な価値観も自分に合わないと思ったのでさっさと捨てた。

 

お陰で現在、夫婦2人でニートのような生活をしている。

定職を持たず、自由に生きている

(一応書いておくと、収入はサラリーマン時代より多い)

 

端から見れば、定職を持たず、フラフラしているおかしな夫婦だろうけど

そんな世間の目、知ったこっちゃないよ

僕は嫁と旅行をして生きるのが一番楽しいんだから。

一つのことに打ち込むことで人間性は高まる

とまあ色々書いたけど、好きなことするのが一番

好きが高じて、打ち込むことができればゲームだろうと

なんだろうと、自然と人間性は高まるだろうし

別に高まらなかったところでどうってこともない

楽しかった、という経験があれば、それでいいんじゃない?

人間性を高めるのに、何も旅である必要はない

ゲームでもいいし

学業でもいいし

自転車でもいいし

音楽でもいいし

主婦業でもいいし

恋愛でもいいし

アニメだって全然問題ない

 

1つの事に打ち込んで、その分野で必死に高みを目指すことが

同時に、人間性を高めることになると思う。

 

ゲームで人間性を高めるなんてかっこわる┐(*´∀`*)┌ 

 

なんて、もし言うやつがいるとしたら

 

お前のほうがよっぽどかっこ悪い

 

と僕は思うよ。

 



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