二人暮らし7:ネコが死んじゃった・・・

こんにちはヤニックです

 

不定期連載中の日記、第7弾です

第6弾

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二人暮らし6:船上での職業

 

実家のネコが死にました

 

10歳、まだまだ生きられる歳でした。

脳に炎症が出来たとかで、あっという間に死んでしまいました。

 

正直に言えば、僕は実家に帰るのは二ヶ月に一回くらいのことだし、実家のネコも僕になついていなかったので、死んだことによるショックはさほど大きなものじゃありません。

人間より寿命が短いんだし、先に死ぬのはしょうがないことだよな・・・と冷めた気持ちの方が強いです。

 

ただ、うちの両親はネコを、ことさらにかわいがっていて、その虚無感を想像すると僕は胸が苦しくなります。

 

うちのネコは、朝、決まった時間になると、母親を起こしに来てたそうです、最初は猫なで声で、起きないと怒ったようにないたそうです、それでも母親が起きないと、今度は父親のもとに、ニャンゴロンと起こしに行きます。

それが毎日、毎日続くんだよ、いっつも決まった時間なんだよ・・・と、迷惑そうにいつも母親は話していましたが、その姿はとてもうれしそうでした。

うちのネコは甘えん坊のかまってちゃんで、暇があれば、両親にかまってもらっていたそうです、うちの親父は寡黙で感情を表に出さないタイプですが、ネコを撫でてる時の顔は、それはもう柔和な、まるで孫をあやすような顔をしていました。

家ネコだったので、両親とは、本当に長い間一緒に暮らしていた、家族同然のネコでした。

 

でも

 

その朝のいつもの姿はもうありません、かまってよと甘えてくるネコの姿はもうありません。

 

両親は、その度に、まざまざと、残酷なまでに、現実に突き落とされます、もしかしたら、明日の朝、ニャオンと起こしにくるかもしれないと、かすかな希望をもって、夜、眠りにつくかもしれません、もしかしたらそこのベッドの影から、ひょいっと姿を表して、いつものように甘えてくるかもしれない・・・

 

残念ですが、そんなことにはなりません、ネコは死んだんです。

 

もう、70歳を過ぎ、晩年を迎えようとしているうちの親にとって、まるで孫のようにかわいがっていた、最愛のネコとの別れは、さぞ辛いことだと思います。

 

年老いた心にどうしようもなく去来する、処理することが出来ない虚無感を思うと、僕は胸が苦しくなります。

 

 

ネコは道端で拾いました、ちょうど僕達が結婚した頃なので10年前です、珍しく、姉貴夫婦と両親と僕達でカラオケに行って、その帰りのことです。

姉が道端で一匹の子猫を見つけました、片目が潰れ、ほうっておけば今にも消えてしまいそうな小さな命、姉はその生命を拾いました。

 

真っ黒なネコなので、クロと名付けました

 

クロはいつしか我が家のアイドルになりました、クロがいることで、実家の雰囲気も華やいだものになりました。甘えん坊でビビリで人見知りだけど、憎めないやつでした。

 

クロはどれだけの笑顔と幸せを、両親と姉貴夫婦に届けてくれたか、計り知れません。本当に感謝したい

 

でも

 

死ぬのが早すぎた、歳をとって、老衰で死ぬのなら、両親も諦めがついたというのに・・・突然すぎました。

 

果たして、この現実を両親は受け止められるのだろうか?

 

過去は変えられない、受け止めて、乗り越えて生きていくしか無いのだけれど、それだけの力が果たしてうちの両親に残っているのだろうか?

 

過去は変えられず、未来はまだ来ていない、人は、今この瞬間を精一杯生きることでしか幸せになれない、過ぎ去った過去に囚われてしまっては、人は不幸になるばかりです。

 

「あの時ああしてれば、今頃生きていたかもしれない」

「あの時、なんであんなことをしてしまったんだろう・・・」

「なんで気づいてあげられなかったんだろう」

「なんでもっと優しくしてあげられなかったんだろう・・・」

 

と、過去のことばかりを考えて、後悔に打ちひしがれる人生は不幸でしかありません。

 

だからといって

 

「クロは死んだんだよ、過去のことはもう終わったこと、僕たちは今を生きるしかないんだ・・・」

 

なんて、両親に言うことなんて出来やしない、僕だって最愛の人が突然死んだら、心が過去にとらわれて、帰ってこれなくなるかもしれない。

 

僕は、最愛の人が突然死んだら、過去を乗り越える自信はありません。最愛の人を失った寂しさに潰れてしまうかもしれません。

 

例えネコであっても、うちの親がどれほどの愛情を持って、ネコに接していたか、僕にはわかりません、だから、そんなこと、軽々しく、親であっても言うことでは無いんだと思う。

 

 

でも、だからといって、最愛の人が、過去に囚われている僕をみて、どう思うのか?きっと

 

「私は死んだんだから、もうそこにはいないんだから、あなたは今を生きて」

 

きっとそう言うと思うし、逆の立場なら僕は絶対にそう言います、だって、不幸な姿をみたくないもの。

 

 

乗り越えられるかどうかは、結局は自分次第、過去にとらわれていては、幸せになれないことを、自分自身で気付くしか無いのです。

 

70歳だって、80歳だって、90歳だって100歳だって幸せに生きてる人はいるし、生きられる、両親にはそこに自分の力で気づいて欲しい。

 

じゃないと、僕が最愛の人を亡くした時に、一体、誰の背中を見て立ち直ればいいんだ、親には死ぬまで親であって欲しい、目指すべき模範であって欲しい、背中で子供に教える存在であって欲しい。

 

あなたの子供だったから、過去を乗り越えられました、と言えるような、誇れる親であって欲しい。

 

続く

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二人暮らし8:食レポ、ニガテ

 

PS

実家の近くの長楽寺と言うお寺で、簡単な葬儀を行いました。

田舎の人はびっくりするかもだけど、街なので、ネコを埋める為の土が無いのです。

 

長楽寺は、盲導犬を供養するお寺で、ペットの供養ではとても有名なお寺みたいです、たくさんの人がペット供養に来ていて、僕はびっくりしました、都会では家飼いが基本だから、ペットより家族っていう感覚の人が多いんだろうなぁ・・・うちもそうなんだけど。

お寺にはたくさんのペットの写真があって、愛情の深さを感じます。

親父と、お義兄さんはいつまでも泣いていました、母親と姉は一滴も涙を流していませんでした、本当は声を上げて泣きたいだろうに、こういうとき、女性は強く、男は弱いものだな・・・と思いました。

 

最後に、お坊さんが簡単な説教をしてくれました、クロちゃんのおかげで普段は忘れがちな、生、死、について考えることが出来たのでは無いでしょうか?という話でした

たしかにそうでした、僕はここ数日、生、死、について色々考えていたので・・・

 

命あるものはどうしようもなく死ぬんです、誰であれ、その日はいつか必ずやってくる、その日の為に、今を生きられる強さを持っていたい、と僕は考えるようになりました。死ぬ瞬間に後悔の無い人生でありたいと、考えるようになりました。

きれいな紅葉でした、紅葉を見るたびに、クロのことを思い出しそうです。

 

 



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