こんにちはヤニックです

 

不定期連載中の日記、第12弾です

第11弾

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二人暮らし11:外国の不便さがむしろ心地よかったり

 

最近は、動画の編集の方が超多忙で、なかなかブログを書く暇が無いのですが・・・ちょっと思うところがあったので、今日はそれを書いていこうと思います。

思うところと言うのはこうです(あ、ちなみに、前置き超長いっす)

 

先日、久しぶりに実家に帰りました、久しぶりにあった親父はこう言いました。

 

「大城バネサって知ってる?」

 

大城バネサ?・・・知らないなぁ・・・親父の話を聞くに、最近ラジオで知って、すっかりとりこになってしまったのだとか・・・ふんふん

大城バネサって若いの?と僕が聞くと、よし、ちょっと待ってろ今、写真持ってくる・・と言って親父は自分の部屋に消えていきました。

 

親父を待っている間、僕はスマホで大城バネサさんの顔を調べて・・・結構若い!!親父が熱を上げるのも分かる気がする・・・ふむふむ・・とやってたわけですが。

親父が戻ってくると・・あれ?なんだ、それ(スマホ)で見れたのか・・・と、ちょっと残念そうな親父。

気を取り直して、今度は大城バネサさんのこの曲が良いんだよなぁ・・・聞かせてやりたいなぁ・・・なんて親父が言うもんだから、またスマホを取り出して

 

この曲のこと?

 

と、youtubeの曲を聞かせてやると

 

 

それ(スマホ)ってそんなことも出来るのか!!

 

 

と、超驚いていたわけですが、その姿がまるで、未来の機械を見るような顔で、親父にとってはまるで、想像の外の世界のようでした。

 

うちの両親は、パソコンもネットもスマホもまったく触れない人間で、別にそのことについて、劣っているだとか、ダメだとか思わないし、ネットが出来なくても、知らなければそれで済む話なので、特別何か思うわけじゃないんですけど、なんでしょう

 

両親と僕は、まったく違う世界を生きているんだな

 

という気持ちにはなりました。

もはや、今の時代、ネットが使える、パソコンが使える、スマホが使える人と、そうでない人では、生きてる世界も、見えている世界も、手に入る情報も、全てが大きく違っていて、まったく違う世界を生きているんだ、という思いに至ったわけです。

だからといって、両親にネットを覚えようよ、というつもりもありません、彼らは彼らの世界で幸せに生きているわけだし、でも、僕の生きてる世界とはまるで違う、まるでパラレルワールドの住人のような、そんな奇妙な感覚を僕は覚えました。

 

さて

 

少し話はそれますが「この親にしてこの子あり」という言葉があるように、僕も”その”両親の子供です、今は、ネットを駆使して最先端の世界に生きられているかもしれないけど

 

 

30年後はわからないよ

 

 

ほんと、僕が70歳になった時、はたして、20代、30代、40代の人と、同じ世界を生きているかは、それはわかりません。例えば、最近台頭してきている仮想通貨とか、こういう新しい世界を受容できず、現金が一番だ!!なんて言い続けていたら、僕の30年後はきっと、若い人と違う世界を生きることになるでしょう。

今の時代、日進月歩で新しいものや概念がどんどん、どんどん生まれます、そして、その多くは

 

新しすぎて、すぐには受容しがたいもの

 

だったりします、先の仮想通貨がそうです、すぐには受容し難いし、実際僕はまだ、買ったことも使ったこともありません。でもいずれ受容し、使うことになるだろうなぁ・・と思っています。

 

例えばですけど、江戸時代の人の価値観って共感できますか?例えばちょんまげ、結いたいと思います?思わない人が多いと思います、昔は、それが良かったのに、なんで変わっちゃたんでしょうね?

それを時代の変化、価値観の変化といいます

 

いつの時代も、時代の変化、価値観の変化は起こります、前までは当たり前だったことが、当たり前じゃなくなる、でもね、ネットが出て来る前まではね良かったんですよ、なんでかっていうとね、価値観の変化がゆるく、緩慢に、ゆっくりと訪れていたから、ついていける人が多かった。

 

でも、ネットが登場したことで、価値観の変化はどんどん加速し、スピードは増すばかりです、どんどん新しいものが出てくるでしょ?正直ついていけない部分ありますよ。

でもね、ついていけないと、すぐに時代に取り残される、まるでうちの両親のように

 

僕たちは今、そういう時代に生きてるんだな・・ってことを認識しました、ハッキリとね・・・でもね、だからといって、新しいものを追っかけて、必死に時代についていこう・・というのも嫌です、そういうのは嫌、あくまで自然体が好き

だから、どうすればいいかって言うと

 

 

柔軟になる

 

 

これだと思うんですよ、新しいものって、どうしても最初は否定しがちじゃないですか、仮想通貨は危ないから現金が一番だ、だれがそんなの使うか!!なんてね。

AIなんかもそうですね、人間が一番だ、人情が一番だ、機械なんかに人の心がわかるもんか!!って否定したい気持ちはわかります、でもね、それも、使ってもいないうちから否定するのはどうなんでしょう?

 

そういう姿勢じゃまずいと思いません?一旦受け入れる度量はあっても良いんじゃないですか?まずは使ってみる、調べてみる、それをやってから否定するならすればいいです

やってもいないうちから否定するのは、頭カタイっすよ。

 

僕も今年で40になりますけど、若い時に一番キライだったのって

 

 

頭カタイおっさんだったじゃないですか

 

 

まぁ、今でも嫌いですけど・・・今にしがみついて、過去の栄光にしがみついて、新しいものを受け入れられない頭カタイおっさん、ああいうのはダメ、嫌、そういう人である限り、時代にあっという間に取り残され、違う世界で生きることになると思います。

 

まるで一反木綿のように、ひらひらと、流れに逆らわず、柔軟に、自然体に生きて行くのが幸せだろうな・・・と、そう思った次第です。

時代が良いものだと認めたのなら、認める素直さ柔軟さはいくつになっても持ち合わせていたいです。

 

ほら、老子もこう言ってるじゃないですか

 

上善は水の如し

 

って

 

それでは

 

PS

だからといって、古いものを否定するつもりもありません、時間という試練に耐えた言葉や知識や哲学は、それだけで至宝です、古人の哲学も、柔軟に受け入れて、学び、取り入れたいですね。

 

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